9月23日

昨日と変わらず、一回のコンビニと一回の散歩以外は外に出ず、本を読み、音楽を聴き、映画を観る生活。

ずっと寝そべって本を読んでいると、ふと立ち上がったときの、立ち眩みがヤバい。ちょっとくらい運動せねば・・・。

 

『季節の記憶』(保坂和志)を読んだ

昨日も書いたけど、中盤はちょっとダレていて面白く読めなかった。けど、後半に入るとぐっと面白くなるところが多かったように思う。松井さんが出てくるシーンになると、この小説はグッと引き締まる感じがある。振り返ってみると、松井さんが出てきて引き締まる感じと、それ以外のダラダラした感じの緩急がこの小説のひとつのポイントのように思えてきて、途中退屈していると思ったのは、しばらく松井さんが全然出てこないシーンが続いていたからなのではないかと思った。

(でもたしかに、あの人を出し続けるとするならば、書き手はとても苦労することになったのではないかとも思う。主人公の「僕」と松井さんでは、その人が作り出す空気感というようなものがまったく違ってくる)

 

『水は海に向かって流れる』(田島列島)を読んだ

前作の『子どもはわかってあげない』はほんとうに素晴らしかった。けど、今作の二巻目を読み終わった時点では、前作ほどはおもしろくないと思っていた。たぶん、ぼくが恋愛ものがそんなに好きじゃないっていうのもあるんだろうけど。『子どもはわかってあげない』では、男女の恋愛が終盤まで前面に出てくることはなく、むしろ前半から中盤にかけての作り込まれた展開、ソフトな空気感とヘヴィーな物語の独特の緊張感があの作品を上品で質の高いものに仕上げていたのだと思う。『水は海に向かって流れる』では、前作では終盤にしか展開しなかった男女の恋愛模様が、最初から物語の基調になっていて、そのことによって前作にあった独特の空気感がすこし台無しになってしまっているのではないかと思っていた。

それで、最終巻の三巻を読んだ。田島先生申し訳ございませんでした。素晴らしかったです。この三巻があるなら、それまで読んで感じていた違和感なんてすべてどうでもいいものだったと思い知らされた。ボーイミーツガールはもうこの人だけでいいでしょ、なんて暴論も言ってみたくなるくらい素晴らしい。『子どもはわかってあげない』もそうだったけど、この人の作品は二作とも、ボーイミーツガールの物語が一つの軸にあって、その傍らに解決すべきヘヴィーな問題の軸をもう一本立てる。大筋は、(両方とも家族がらみの)ヘヴィーな問題の解決(?)→男と女がくっつくというふうになっているのだけど、この作者は問題の展開のさせ方から解決に至るまで、絶対外さずに、パーフェクトとしか言えないものを置いてくる。相当練り込まれて作られているのが分かるし、二作に共通するあの独特の空気感、緊張感を出せるのはすごい。もうべた褒め。できるなら、『子どもはわかってあげない』→『水は海に向かって流れる』の順で読んでほしい。エモを求める人間は全員読みましょう。

 

音楽は、ビートルズホワイトアルバムや、ラリー・カールトンなど。

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