3月16日

 雨のちくもり。昨日の日記に書いたように昼に起きてから、雑誌から小説を切り抜いたり、写真を入れるようのケースを手作りしたりしていた。それを終えてからコンビニに出て、今日の分の食事をてきとうに買う。今日の外出はそれだけ。

 『虹色と幸運』(柴崎友香)を読みはじめる。去年の末に読みかえした『ビリジアン』にとてつもない衝撃を受けたあと、その余韻があったからか柴崎友香の小説をしばらく読んでいなかった。ようやく準備が整ったのか、急に読みたくなった。開いてすぐ目に飛んできた一行目の文が「晴れていた。」でブワーッと一気に幸福感を感じて、そうそうこれこれ、まさにこういうのが読みたかった!と思った。『ビリジアン』のときもこういうぶっきらぼうな感じにすごく惹かれた。最近読んでいる武田花も似た感じのものを持っている。きれいで読みやすい文章を書こうという意志は、きっぱり捨て去るべきなんだと思う。この小説は三人称によって書かれていて、視点のスイッチングが頻繁に行われる。最初の書き出しがすごく鮮やかで、この小説で用いられている技術の結晶のような場面なので引用する。

≪ 晴れていた。

 各駅停車しか停まらない駅の、乗車客の数に比して少ない自動改札機を抜けた人々は、まず、ロータリーの上に広がる薄い水色の空から差す日光の眩しさに目を細めた。「けやき広場」と看板は出ているがイベントができるほどの広さはない駅前の場所には、欅が等間隔で四本並んでいた。そのなかでいちばん大きい木の下で、本田かおりは、人を待っていた。

 ごめん遅れます、というメールを再び確認して携帯を閉じ、顔を上げると、藤色の帽子をかぶった子どもたちが広場を横切っていくところだった。前後左右を四人の保育士に囲まれた子どもたちは二人ずつ手をつなぎ、見慣れない人が行き交う周囲を、珍しいような不安なような顔つきで落ち着きなく見上げていた。≫

 まずカメラは駅の改札を出てきた人々を映し出し、次に切り返しで人々が見上げたであろう空を映し、ティルトダウンして駅前の広場を映す。カメラが広場にいる本田かおりを見つけると、再度の切り返しによって視点はようやく小説の登場人物に移る。最初からすごい文章密度。ここの鮮やかさカッコ良すぎる…。このような視点のスイッチングがなめらかに何度も行われるから、文章を読んでいるのに映画を見ているような感じになる。『ビリジアン』が傑作すぎて、次の作品を読むのがなんとなく怖かったけど、やっぱりこの作家の作品は自分にとってまちがいないなと思った。

 夜に『電脳コイル』を見はじめた。1話目からとんでもなく面白くて、すごく興奮している。「古い空間」のシーンがすごくよかった。最初のほう、電脳ペットのデンスケがずっとひどい目に合っているのが犬好きとしてはすこしキツかったけど。続きを見るのが楽しみ。

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