2023-9 タイムループと時間のクオリア

こんばんは。すこし前まで、近くの自販機に売ってるぷるぷる?しゅわしゅわ?ゼリーを狂ったように飲んでいたのですが、最近めっきり補充されなくなりました。わたしが飲み干したんですか?これ以上あれがない生活に耐えられそうにありません。助けてください。

 

9月は、大学の友達と一緒に3日間くらい旅行に行きました(連れていってもらった)。次にみんなと出かけるときまでには、わたしも免許取れてるといいですよね。死にてえ奴だけ乗りな!!

 

東京ゲームショウ2023に行きました。バイトで。楽な仕事だったし、お祭り感も味わえて良かったです。それくらいです。あ、スイカゲームで1日溶かした日がありました。

 

9月に観たアニメ。『少女歌劇☆レヴュースタァライト』の話がしたくてうずうずしていました。しています。どんどこネタバレするので嫌な人は飛ばしてね。

 

 

舞台は演劇学校の名門である聖翔音楽学園で、第99期生(現2年生)「俳優育成科」のA組が主役のお話です。そしていきなりネタバレなのですが、この作品は8話でそれまで上映された舞台少女たちの学園生活が、A組の一人である大場ななの願いによって、すでに何度も繰り返されたものであったことが発覚します。実は彼女たちが通う学園の地下では、たった一人のスターを決めるための(キリンが主催する!)オーディション、というか実質的には、勝者と敗者を二分する残酷な決闘が行われていました(ウテナのみたいなやつ)。

 

大場ななはこうした苛烈な競争からクラスメイトたちを守るため、オーディションで一位を取り続け、その度に(そのときまではみんなが幸せだった、と彼女が感じている)一年生時の「聖翔祭」第99回公演『スタァライト』の再演をキリンに要求していました。こうしてループが完成します(ループに気づいているのは大場ななだけです。彼女には、みんなを守りたいという思いとともに、この幸せな時間から抜け出したくないという、ビューティフルドリーマー的な思いがあります)。

 

しかし、何度もループしているうちに差異は蓄積していき(大場なな本人の行動や心情の変化など含めて)、なんやかんやあってN回目のループで神楽ひかりという転校生が現れます。このN回目のループがこの作品の1〜7話だったというわけです。そして、この神楽ひかりの登場→主人公、愛城華恋の覚醒によって大場ななは敗れ、ループが終わります。すごい端折って書くとこんな感じなのですが、ついに時間が前に進み始める9話!がめちゃくちゃすごくって〜、その話をしにきました。

 

学園全体を巻き込んだループがついに途絶え、夜に一人で佇んでいる大場ななをルームメイトである星見純那(好き!)が慰めに来るシーンです。ななは「わたし、間違っていたのかな」と問いかけ、純那はそれに対し、偉人の名言をいくつも引用することで答えます。そのなかにシェイクスピア

「時間はそれぞれの人間によって、それぞれの速さで過ぎる」

という言葉があります。純那によってこの言葉が引用されたとき、わたしは雷に打たれたような衝撃を受けました。ここでこの言葉が、

 

ループに気づいてなかった側の人間による、記憶を保ったままループしていた人間に対する解釈(受けとめ方)のひとつ

であると同時に、

あなたは人よりもずっと長くこの一年間を過ごしていた(感じていた)だけだ(だからあなたのやっていたことは実はたいした問題ではないんでない?)という励まし

になっているんだと感じたからです。

(実際、わたしと他の誰かが同じ時間、場所で過ごしていたとしても、その誰かがその時間をいったいどれくらいの長さで体験していたかというのはクオリアなので、わたしには決して知り得ませんし、そこには必ずズレが生じます。わたしが経験した1年という時間の長さを、その人が(例えばタイムループによって)何千年という長さで体感したと主張したとしても、わたしにはそれを反証する術がありません。)

(わたしも誰かにとっての1年を何千年と体感してえな(?)嘘です)

 

よ杉すご杉。これ以上の言葉ないよと思えるほどでした。ループものでは普通、ループに気づいている人と気づいていない人のあいだで心の距離が開いていき、その隔たりにドラマが生まれます。しかし、この2人からはそうした悲劇性はあまり感じられません(まどマギとかみたいに状況がクソおもではない、ループ構造自体が重要な作品ではないという事情もある)。

 

純那はななが生じさせたタイムループという超常的な出来事を、何気なく「感じていた時間の長さの違い」へと翻訳することで、遠く離れてしまった友人の存在を再び理解し、受け入れる可能性を開きました。ここで生じているのは、分かりあうことは決してできないんだから、お互いのことを誤解しながら分かったふりをしつつ、それでなんとかやっていくほかないのだという、ごくありふれた事態だと思います(そうした「誤解」をきっかけにしか人は繋がれない)。じゅんななな最高!ひとしきり話した後、ななが「こんな楽しい純那ちゃん、はじめて」と言うところも最高〜。長いループを終えたあとと考えると感慨深いです。

 

 

ブーン

 

 

(飛んできた人が着地するところ)

 

思いのほかスタァライトの感想が長く、日記としては十分すぎる量書いたので終わろうかなと思います。この記事を書きながら思ったのは、月1でもべつに日記って言い張ればいいじゃん、ということです。

 

わたしは日常生活のなかで何をするにも時間がかかるし、すぐに脳のメモリがパンパンになってぐえーっとなるのですが、社会に共有された時間感覚と同期しなくてもいいときは無理してできなくてもいいし、特にこういう個人的なことはできるペースでゆっくりやっていけばいいやねと改めて思います。毎日日記を書くのはいまのわたしには無理そうですし(日記書ける前に風呂掃除洗濯洗い物などできなければならない)、このペースでなんとか続けていけたらと思います(24h⇆720h)。そんではまた来月〜。

 

TGS帰りに見た虹

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十五夜 でけ〜

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