1月22日

・『中二病でも恋がしたい!戀』の9、10話。ようやく物語がグッと深い部分に入ってきたという感じ。現実と虚構の対立という問いがそもそも偽の問題であるがゆえに、それを安直に主題化した作品は大抵おもしろくなかったり陳腐だったりするわけだけど(「中二病」の一期は当然そんなに単純ではなかった)、「中二病」ではその対立が中二病を維持することと恋愛感情の相入れなさという問題に重点がシフトしている。そして、これも作られた偽の問題であるとは言えるのだが、同じ偽の問題でもこっちの方がよっぽど面白いと思う。それは、人が自分を支える地だったり、わたしを捉えて離さないリアルなものは、実は恋愛や性的なものがもつ強度には太刀打ちできないのではないか、それほど人間にとって性というものはままならないものなのではないか、というような意味で(性愛の破壊的な側面)。より抽象度が高くて、まさに「中二病」だからこそ踏み込める領域と言える。二期では「恋愛」と「中二病」をまさに対立する問題として捉えてしまった結果、どちらかを捨てて片方を選択せざるを得なかった(決断せざるをえなかった)キャラとして七宮が登場し、今度は立花に対してかつての七宮が直面した問題が投げかけられることになる。9話では立花が恋愛と中二病の対立を止揚し、二つを同時に肯定するに至るが、それは同時に七宮に「抑圧されたものの回帰」、すなわち勇太への恋愛感情の強烈な揺り戻しを引き起こす。そして、転換点となった9話に続いて10話では七宮の葛藤が描かれることになる。七宮は勇太への恋心を殺そうとするが、回帰してきた外傷を自らの力で治すのは(物語上でも現実でも)不可能に近い。そして、劇中では丹生谷(とおそらく十花)だけが七宮が置かれている状況の深刻さを認知している(「そんな簡単じゃないわよ、きっと」)。この作品はタイトルから予想されるのとは違って、恋愛は幸福をもたらすというよりは、むしろ人に対して襲いかかり、強制的に何か大切なものを奪ってしまう面が強く描かれる(一期の立花においてもそうだった)。この作品においては通俗的な「恋愛」は単純に肯定的なものではないが、しかし完全に否定すべきものでもない(人間である限り否定しようがない)、という風にかなり複雑に捉えられていて、そこが面白いのだけど(恋愛アニメに見せかけて、実は反恋愛アニメなのではないかと思う)、次の展開でこの作品が七宮の状況をどう解決するのだろうか、という感じ。

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