9月9日

今日朝起きて窓開けたら、なんか空気が秋っぽくなってた

曇ってたからかもしれないけど、外出たら空気が若干カラッとしてて8月のじめっとした感じはなくなってた

一年の中で一番好きなのが、夏が終わって涼しくなってくる時期(9月末から10月にかけてくらい)

春よりも、秋の下降していく感じがとてもいい

窓から涼しい風入ってくるのめっちゃ好きなんだよな

 

群像の9月号で、樫村晴香「美しいもの——表象、欲望、メタモルフォーゼ」を読んだ

ぼくのなかで、人生20週くらいしても追いつけないと個人的に思っている三大頭よすぎる人が、樫村晴香、郡司ぺギオ幸夫、西川アサキの3人

もう読むたびに圧倒されてしまうな

適当に引用してみる

《美しさは非常に速いが、しかし有限の時間で出現し、そののち消失する。その一瞬の挙措は欲望よりずっと速く、欲望の手前で美しさは現れるが、しかしそれが現れる時、それは期待の感情の軌跡ー痕跡のようなもの、いわば欲望の微分を伴っている。》

《美しいものは不吉でも不気味でもないが、時にそれが不穏なのは、美は物質から浮かび上がり、区画され、はぎとられた「表象」だからだ。これは物質の変態であり、そこで隆起するのは私の身体と欲望である。》

《美しいものは空間の裂け目が、欲望の輻射を受け、励起する瞬間だが、それはアガトンが言うようには、自分自身では逃げ去れない。美しい対象が、震える斑紋、震える羽毛、震え鬱血する表皮として、空間から分離し立ち上がる時、欲望は同様に隆起して、息をのみ目を見開き発汗するが、しかし表象から身体への、この同期と支配は、身体の更に深い動き、すなわち美しいものに驚嘆し、捕捉・称賛したいという感情ー思考、そして対象を撃ち取り、性交し、この称揚全体を何ものかに伝達しようとする運動に引き継がれる。賛嘆と隷属、性交と制覇を経て、移転、伝達、共有され美は立ち去る。そして正確に言えば、この、出現し消失する欲望の輪の一極点としてのみ美は現れる。美しいものは私を驚かせるが、しかしそれを私は予め知っている。》

《美しさは、説得や証明や理解と異なり、世界の励起が直接に伝播、憑依し、あれこれの対象を欲望する日常的な時間を止める。それゆえ倫理に近い圏域にあるが、同情や義憤のような理解の工程を要しない。理解や思考は、むしろ空間が隆起し美を手招きをする瞬間、それを遠ざけ、自分の欲望をそこに打ち立て、美を対象の場に下がらせて、美から人間を防衛する。》

《日常の中でたまたま出会う美しいもの。岩肌、液状の水、空中の水、樹木、動物、人間など。それは素朴に美しく、穏やかな一瞬を与え、やがて去る。しかしそれを狭義の表象として留めようとする作品は、むしろ苦痛に満ち、とりわけ十九世紀以来の作品は、知覚を真理に競わせ、表象を真理に押し上げ——そこには知覚を真理の準則とみなす現象学的思想も多少作用した——、美しさは逃げることも、欲望に追われることもなく、鑑賞の対象から、網膜に張り付く原光景へと変貌しだす。しかし美しいものとは、その発生においてそもそもそのようなもので、作家たちの創作の苦難の歴史が、この事実を今日私たちに教授する。》

《岩山や海面の一瞬の表皮を描いたセザンヌの絵が、膨大な時間を内包するのは、彼の画布が、世界が隆起する瞬間を捉えつつ、それに対する長大な防衛を闘っているからだろう。》

 

夕方、外に出る。曇り空と涼しい気候。東の山の上の濃いめの青と白のグラデーション

テキトーに路地裏に入って歩こうとしたら、5分もたたないうちに元の場所に戻ってきてしまって、自分の方向感覚のなさに少しへこむ

 

吉田喜重小津安二郎の反映画』

見たことがある『晩春』と『東京物語』の章を読む

ぼくは『晩春』の方が面白かったけれど、この本では『東京物語』が特に力を入れて論じられていた

なるほどーと思いながら読んでいたけれど、ここで言われていたことがどれくらいの正当性があるのかはもう一度映画を見ないとわからない

論自体はおもしろかった

 

赤ちゃん教育』(ハワード・ホークス

これはね、マジで面白かった

映画でこんなに笑ったの初めてかも

もうずっと画面に釘付け

ほんとにすごかったな

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