3月18日

 授業料免除継続の申請をしに久しぶりに大学に行った。

 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』を観た。これは去年公開された劇場版とは別の映画で、あの痛ましい事件が起こる前に公開された作品。TV版があまり好きじゃなかったから、ほとんど期待せずに観たのだけど、この作品はとんでもなくよかった。TV版だけを観てぐちぐち文句を言う前にこっちを早く観ておけばよかったのにと思う。

 外伝はTV版と連続的であると同時に対照的だった。TV版が家族や恋人といった愛ー呪縛で結ばれた関係ばかりを扱い、全編通して息苦しかったのに対し、外伝ではAパートがヴァイオレットとエイミーの友情ー百合関係がメインプロット、過去のエイミーとテイラーの家族のような(!)関係がサブプロットもしてあり、Bパートでは成長したテイラーを主役にヴァイオレットやベネディクト、そしてイザベラ(エイミー)との師ー弟、かつての(擬似)姉ー妹関係が描かれる。数日前の日記に、TV版は愛という主題にこだわりすぎた結果、描かれる人間関係がどれも見覚えのある紋切り型になり、単調でつまらなくなったと書いた気がするけど、TV版の評価が変わるわけではない。同じ京アニの『中二病でも恋がしたい!』も愛、あるいはそれよりも限定的な、恋愛を扱った作品だけど、「中二病」は主人公とヒロインが親密になっていく過程が、世間一般の「恋人」関係を批判的に解体しつつ、新たな自分たちだけの関係を生み出していくプロセスでもあるというような、10年代の京アニらしい屈折を含んでいた(あの作品において愛はむしろ畏怖すべきものだったけど、その代わり「友情」は無条件に肯定される)。それに比べるとTV版の「ヴァイオレット」はなんの躊躇いもなく直接愛を賛美していて、ちょっと世間に迎合しすぎじゃないか思った。だからこそ大ヒットしたんだろうけど。

 しかし、外伝の方は「外伝」だからこそよかったのか、家族や恋人に限定されない、より多様な関係性を描いているし、家族の呪縛的な側面をきちんと描き、TV版をやんわり批判するような関係にもなっている。前に愛のような重たい関係だけじゃなくて、「友情」のような流動的で多様な関係性も描いてほしかったといったけど、それもこの作品できちんと補完されていた。ヴァイオレットのセリフに「イザベラ様は私に初めての友達をくださいました」とあるように、二人の関係は単純な「友情」でありつつ、一緒に風呂に入ったり、舞踏のシーンでヴァイオレットがタキシードを着る⇆イザベラの一人称は「ぼく」など、男/女⇄女/女⇄女/男と非常に流動的で百合の気配が濃厚な関係でもある。ヴァイオレットが愛を知るためには、TV版のように傍観者であるだけでは不十分で、実際に誰かと愛を育む必要があったのだろう(男にはギルベルト大佐という替えのきかない相手がいるので、女でなければならなかった。外伝ではギルベルトという名前が一度も出てこない)。愛という主題は継続しつつ、より不安定で刹那的でもある関係を肯定的に描く。その意味で、エイミーとテイラーがほんとうの家族ではないという点が極めて重要だろう。二人の家族のまがいものにもかかわらず/であるがゆえに家族を越える関係は素晴らしかった。これまでほとんど活躍のなかったベネディクトが重要な役割(テイラーとの師弟関係)を果たしていたのもよかった。TV版を観て物足りなかった部分がかなり補われている。

 数日前の自分に早くこれを観ろ!って言いたいくらいすごかった。ほんとに同じ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』とは思えないくらいの傑作だったから、途中で見るのをやめなくて良かった。

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