11月17日(ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』)

ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』を観た。ジャームッシュの映画の中でもかなり抽象的なのではないか。途中までカフカの『城』みたいだと思いながら観ていた。城に到着する=アメリカ人を殺害するという目的が無限遠点にまで追いやられ、物語のなかで物語が解体されていくような感覚。カフカの『城』がほんとうに目的を達成することがなく終わってしまったのに対して、この作品はきっちりと目的は果たされるのだけど。それでも終盤にたどり着くまでの、意味が読み取りにくく、それでいていたるところに徴候が散りばめられているようなとても抽象度の高い、そして漂うようなジャームッシュ的な時間はとても素晴らしかった。映像の色彩もとても良い。一つ目の青と緑の世界、二つ目の茶と緑の世界、三つ目の白と緑の世界…定住する場所が変わっても、緑色がつねにそこにあり続けるように、同じような場面、展開が場所を変えて反復されていく。主人公とともに画面に映る、特定のカラーで構成された空間はほんとうにどれも美しくて、どのカットをとっても素晴らしい。ただ、最初から主人公が複数に分裂するようなショットが何度も撮られていたのだけど、それらのショットが「真実は存在しない」のような安いセリフに収束していくのはちょっと…と思った。でも全体としてはすごい映画だったと思う。カフカの『城』を読み返したくなった。

 

・『境界の彼方』を最終話まで観た。語られている物語の凡庸さはともかく、全体的なクオリティとしてとても良いアニメだったと思った。色彩の配置とかキャラの動かし方とか作画の凄さとかはさすが。

・今日も懲りずに『Detroit Become Human』の実況プレイを長々と観てしまったのだけど、普通のフィクションと違って、「プレイヤー」という不確定要素があるのが面白いのかもしれないと思った。このゲームはマルチエンディングのようなものとも少し違って、プレイヤーの選択によって刻一刻と状況が変わるから(それは些細なものだったり決定的なものだったりするのだけど)、ほんとうに先が見えない状況で展開を見届けることになる。実際、今回観ている動画では、(大筋は同じとはいえ)だいぶ前に観た実況プレイとかなり違った筋道を通っている。一つのチャプターが終了するたびに、そのチャプターであり得た行動のフローチャートが表示されるのだけど、組み合わせの数などを考えると、ぼくが2回観た実況プレイのなかで実現されなかった潜在的な可能性の数は(有限数とはいえ)、かなりの数になると思われる。このゲームの実況プレイを観ていて1番感じたのは、同じ世界(ゲーム)を観ていても、2人いたら2通りに解釈や行動が分岐するという当たり前の事実なのだった。もちろん選択肢や帰結のパターンは有限数だから、選ばれる確率の高い選択肢や収束する確率の高い結末があるのだけど。でも二つ見た実況プレイの、2人のプレイヤーの行動がまるで異なっていて、一度観たことのあるぼくがここはこれを選ぶでしょっていうあらかじめ予測した選択がことごとく裏切られる。わたしと他者が同じ世界を同じように観ているという幸福な幻想が、全然そんな気はなかったのだけど、引き剥がされた感じがある。

 

・夕方の澄んだ青色

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