3月6日

 昨日の日記で、今日は外に出たいと書いたけど、結局今日もほとんど出なかった。起きたのが11時くらいってのもあるけど。ごはんを買いにコンビニに行く途中で、一瞬イタチのような生き物が車の下を通って、家の庭の方に入っていくのが見えた。生でイタチを見たのははじめてかもしれない。

 『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』(田中純)をちょこちょこと読み進めている。ファーストアルバムの『デヴィッド・ボウイ』から順に『世界を売った男』、『ハンキー・ドリー』、『ジギー・スターダスト』とつづいて『アラジン・セイン』の章まで読んだ。メタロック的な手法で生み出した「ジギー」という仮面をついに自ら葬り去ることになる。ロックの現場では、演技やパロディによる「ロック」とボウイとの距離を保ち続けることはほとんど不可能だった。≪ロック・スターを演じるボウイのイリュージョニズム的な受容とは別に、それが引用であり、ロック・スターの「社会的身振りを示すことを示す」ものであることを意識的には十分に認識しつつ、しかし同時に、そのイリュージョンを無意識的には深く信じているという心理ーー一種のフェティシズムーーが存在する。「まがい物」の非本来性ゆえにもたらされる陶酔がありうるのである。≫。『アラジン・セイン』の章の最後で引かれているボウイの発言が印象的というか、「文学」自体にたいした興味が湧かないのになにかを書きたいという気持ちだけがある、という最近の気分と共振した。

≪たぶんぼくは、ロックンロールになんか関心ないのかもしれない。たぶんぼくは、ロックンロールをただ利用しているだけだ。まさにそうだ。ロックンロールになんかまるで関心ない。≫

David Bowie – Rock 'N' Roll Suicide (Live, 1973)

https://youtu.be/CD1nzOeS6U0

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