朝8時に起きる。生活リズムを改善しようと頑張り中。大塚英志『まんがはいかにして映画になろうとしたか』を読みはじめる。つい途中で先日読み終わったジョジョの5部のアニメをつけたら、そっちをずっと見てしまった。この人の漫画のキャラクターはスタンド以外の個性がかなり希薄だ。とくに5部は出てくるのがほとんどギャングという設定で、大体のキャラ(特に敵キャラ)が同じような喋り方をし、同じような性格をしている。たぶん、キャラクターの内面の造形とか、描き分けとかにあまり興味がないんだろう。そういえば、去年卒論を書いた宮崎駿もそういうところがある。たとえば、クラリス、ナウシカ、サツキのようなキャラクターは一定の互換性があり、そのキャラから感じるのは、個性を持った人間というよりも、ジブリヒロインの型の方だ。ジョジョは同一の作品ーフレームのなかですら、それで押し切ってしまっているところが最近の漫画、アニメではなかなかない感じ。その強引さを成立させているのはもちろんスタンドやヴィジュアルの強烈な個性なのだけど。個人的に荒木飛呂彦と宮崎駿は結構共通点の多い作家だと思う。描きたいものがキャラクターではなく、物語でもない。自分の頭のなかにあるさまざまな空想、アイデアをいかに実現させるかに専心し、そのアイデアの量が実現可能な域を超えたためか、ときに暴走気味になったりするところとか(ハウルとジョジョ6部で、終盤にもかかわらず収拾つかなくなるほどエントロピーが増大していく感じ)。
オンラインでバイトの面接を受けた。男性は髪の毛の長さに規定があると言われたため、断る(タウンワークは性別不定で登録できるけど、面接時にはっきりさせられることがほとんど)。なんでこの歳になって学校の規則みたいなこと言われなくちゃいけないのか。せっかくここまで伸ばしたのに、絶対切りたくない。とはいえ、面接官の人はかなりこちらに気をつかっているようだった。そういう時代ってことなんだろう。気をつかわれたところで、結局働ける場所が少ないままなんだけど。
思いつきで作り始めたオブジェがどんどん大きくなり、部屋を圧迫し始めた。背景はスクラップブックを解体し、繋げ直したもの。いまは日記モビールと呼んでいる。