2月4日

・『視覚文化「超」講義』(石岡良治)を読み始めた。この本は文化にまつわる二項対立を解体し、スペクトラムなもの、ないしはゲームの「レギュレーション(規則群)」の違いとして考える立場に立っている。アート/ポピュラー文化のあいだに質の差が存在すると考えることはできず、もともと「レギュレーション」あるいはそれらに対するスタンスの違いから同じ基準での比較は不可能である。ただし、アートの文脈で判断される作品の質の高低はたしかに存在するし、ポピュラー文化内でも同様である。しかし、アート/ポピュラーの枠は絶対的なもので共通するものを見出せないのかといえばそうではない。文化的なものはしばしば一つの領域に行儀良く収まることなどなく、つねに領域横断的にお互いがお互いを触発し合う。

≪私はここで重要なのは「レギュレーション」そのものではなく、「レギュレーション」に対してどのように働きかけているかだと思っています。「レギュレーション」を単独で考えるのではなく、「レギュレーション」に対する働きかけを考えるということです。言い換えるなら例えばアートとポピュラー文化の関係を、質の高低で区別するのではなく、コミュニティの違いで考えてみたいと思っています。つまり「あるコミュニティでしか達成できないもの」がいろいろな場において生じていると思うのです。例えば「芸術においてしか達成できないもの」は当然色々あります。しかしながら、それがその他のエンターテイメント全てを圧倒する卓越なのかどうかはわかりません。私は、その卓越性は文化の「レギュレーション」ごとに異なる仕方で見いだせるのではないか、という、相対主義に近い立場で考えています。≫

≪それでは「レギュレーション」をどう定義するのか?という循環的な問いに陥りますが、そういう困難な問題にも本講義では暫定的に次のように答えたいと思います。さしあたっては、上下というよりはいろいろな「レギュレーション」があり、それぞれの卓越があるということです。ただし、その枠は超えられないのか?ひとつしか属さないのか?排他的なものなのか?と言うと、そうとはかぎらないとおもいます。これが、文化における固有性と普遍性の厄介な定義に対する私なりの一定の答えです。≫

・『2001年宇宙の旅』を観た。最後の30分ヤバいな。めっちゃウケた。

Something-George Harrison & Eric Clapton

https://youtu.be/nolnTeXt8TE

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