12月21日

ツイッターである作家へのインタビューの記事をたまたま読んだのだけど、「意見がないというのは政治的」という発言があった。そして、別の人がその記事を共有しながら「黙る暴力性」という言葉を付け加えてツイートしているのを見た(リツイートされていたもの)。たしかになんの意見も持たないことが、結果的に現状肯定につながり、それが特定の人々への暴力を含んでいるという面は見過ごせないとは思う。しかし、当然、黙る=現状肯定という解釈(の押し付け)にも無視することのできない暴力性が存在する。暴力批判をする人が、それ自体に含まれている暴力性を隠蔽したままそれを行う、ということがまかり通るようになるのはとても恐ろしいことだと思う。

・『ドラキュラ』を読みながら調べ物をしていて突き当たった論文。

https://kwansei.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=18351&item_no=1&page_id=30&block_id=85

https://kwansei.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=18363&item_no=1&page_id=30&block_id=85

これに関連して、ジェラール・ジュネットの『物語のディスクール』を読みたくなったけど、めちゃくちゃ高かった。