11月14日(三好銀『海辺へ行く道』)

・最近、少し時間が空いたときとかに、iPadKindle三好銀の『海辺へ行く道』シリーズをパラパラと読み返している。テキトーなページを開いて眺めているだけで、とても楽しい。次の文章は『半島論』の中に入っている、古谷利裕「突端・行き止まり・迷路・穴・構造/『海辺へ行く道』シリーズの岬的空間性」からの引用。

《『海辺へ行く道』シリーズの作品世界は、やや不器用な描線で描かれた、抽象的で、乾いていて、硬質な、どちらかというと形式主義的な傾向にあると言えます。しかし、その抽象性のなかに、性的な猥雑さや、人の心に巣食う悪意や怖いからの執拗さ、裏社会の恐ろしい闇の部分などが、不思議なバランス(アンバランス)で、チラチラと顔を覗かせます。そして、作中に一種の「秘密」のような感触で現われる、性的な生々しさや裏社会の恐ろしさ(悪や暴力の感触)、粘着的な心のあり様は、リアリティがあると同時にどこか浮世離れしているもので、濁ったり、爛れたり、湿ったところがなく、その生々しさが常にどこかがずれているような乾いたユーモアへと砕かれ、転化されていくのが魅力的です。物語的にも、自律的で幻想的な世界内でシュールな話が展開するように見えて、ところどころ下世話な、現世的な空気が混じり込んできて、統一された抽象度が持続されているというより、ふらふらした感じでさえあります。上品さと俗っぽさの混じり具合(混じらなさ具合)こそが面白いのです。

 この作品には、人工性や模造性(類似する物たちの識別不能性や入れ替わり)とスケールの可変性への強いこだわりがあり、空間への独自の感覚、迷宮性、形態的な歪み、複数の空間が非意味的、飛距離的に短絡して繋がってしまう感じなどが多く見られます。人と人、人と物、人と猫の間の、距離や関係性もまた、そのような空間と同様に、距離が遠いとも思えるところに、誰にもわからないような秘密の短絡的通路が開かれ、結ばれていたりします。》

《(『三好さんとこの日曜日』について)作者は五十五年生まれなので、これを描いていたのは三十代後半ということになります。この作品は、気持ちの若さを失わないままその年齢になった人にしか描けない作品のように思われます。ここで言う気持ちの若さとは、気楽さとか、軽さとか、鷹揚さを失わないというような意味で、つまり学生のころと変わらない気分のまま三十代後半まで行った人ということです。それは実際の学生とはかなり違っていて、その意味では決して若い人には描けない作品でしょう(むしろ『海辺へ行く道』シリーズの方が若々しい感じがします)。ある年齢になるとどうしても、なにかに目覚めてしまって(社会性とか使命感とか?)、このままではダメだとかちゃんとしなくちゃだとか言って焦ったり、自らの重さを不意に感じて深刻になってしまったりするとおもいますが、この作品に貫かれているのは、そのような罠への静かで強い拒絶の姿勢だと感じます。》

《視点は常に限定的であり、全体を捉えることは決してないのですが、その出来事は、背後の無数の出来事のひろがりや複雑さを感じさせる徴候に満ちています。気軽さ、軽さ、鷹揚さを失わないというのは、それらの(それを見逃してしまっても生命には支障がないという意味で)些細ともいえる出来事とその徴候を受け止める余裕を失わないということでしょう。そして、それを、微細な事象へのこだわり(フェティッシュ)とか、身辺雑記だとか言って(大きな、重たい問題と二項対立的な対をなすものであるかのように)簡単にファイリングしてしまうような思考の粗雑さに染まらないということでもあるでしょう。》

《『海辺へ行く道』シリーズには、同じなのか違うのかよくわからない「海へと突き出た部屋」が複数存在するというような、(1)本物と偽物との交換可能性がありました。そして、小さくておもちゃのようなエアコンと室外機や、船のなかで製造されている使用目的の分からない巨大な人間の像、動植物が規格外に大きく育ってしまう土壌汚染地帯、金魚のように小さな鯵のお造りなどによって現わされていた、(2)スケールのフラクタル的(入れ子的)な可変性もありました。さらにここで付け加えられるのが、枠づけられたフィクションの内側(本のなかの物語)と、その枠の外に広がる現実との、(3)変転可能性です。

 そして、この三つの要素は互いに密接に絡み合ってこの作品に独自の世界をつくり上げていると言えます。(1)が、虚と実の並立的な交換可能性であるとすれば、(3)は、虚と実の相互包摂的関係(虚のなかに実があると同時に、実のなかに虚がある)であり、それはそのまま、小さいものが大きいものに含まれるだけでなく、大きいものが小さいもののなかに含まれもするという、(2)スケールのフラクタル的な相互包摂とも重なるでしょう。この作品の岬的な空間性——突端であり行き詰まりでもある、流れであり淀みでもあるという岬的空間の二重性――は、さらに、本物と偽物、大きいものと小さいもの、水平的な関係と垂直な関係、連続的なものと非連続的なものが、互いに役割を交換し、また、互いに互い包んだり包まれたりすることで、とても複雑な構造を形作ることになります。》

 

・久しぶりに川沿いを散歩した。気持ちよかった。あと美容院で髪を切ってカラーもしてもらった。

f:id:moko0908:20201114175011j:image
f:id:moko0908:20201114175003j:image
f:id:moko0908:20201114174929j:image
f:id:moko0908:20201114174943j:image
f:id:moko0908:20201114174958j:image
f:id:moko0908:20201114175006j:image
f:id:moko0908:20201114174951j:image
f:id:moko0908:20201114174947j:image
f:id:moko0908:20201114174955j:image
f:id:moko0908:20201114174938j:image
f:id:moko0908:20201114174934j:image
f:id:moko0908:20201114175016j:image