9月18日

さっき中学の時の同級生から急に電話来て、なにかと思えば

ラーメン食いに行こうって言われて連れていかれたのが

ずんどう屋

ずんどう屋って姫路市に本店があるんですよね

シンプルにきつかったです、晩御飯食べてたし

 

今日、ビートルズをめっちゃ聴いてた

ずっとサージェントペパーズとマジカルミステリーツアーばっかり聴いてて

それ以前のアルバムろくに聴いてなかったけど、今日めっちゃ聴いた

結局ビートルズはすごいんだなあと思った

 

(少し昨日の日記の続き)

昨日、保坂和志の小説の感想書いて、「夏の終わりの林の中」と「夢のあと」は文句なしの傑作だけど、「東京画」については少し留保した

「東京画」では、猫の死が小説全体の重力となることで、思弁的考察が前面に出てくる

対して他の作品は、そういった重苦しい思弁が後景に退き、(ハイデガー的な意味で)世人たちの「お喋り」がメインとなる

ぼくが「東京画」よりもそっちを高く評価したのは、(少なくとも初期の)保坂和志は哲学的な議論を展開しているときよりも、複数人での「お喋り」を描いているときのほうがずっと冴えていると思うからだ

世人たちのお喋りと「実存」に目覚めた人間たちの哲学的議論のあいだに優劣はない(「哲学者」はそうは考えないかもしれないけど)

結局、人はどちらか一方だけで生きていくのは不可能なのだし。

そのことを認めさえすれば、どちらかに優劣をつけること自体が間違っているし、ハイデガー自身も人が必然的に頽落した存在であることを強調している

(結局、ハイデガーは根っこのところで「本質」的なものを温存したため、結果的にそれらのあいだに優劣を認めてしまったように思うけど、その問題はハイデガー自身というよりも「哲学者」全体に帰すべきものだと思う)

ちょっと眠くて考えがまとまってなくて、用語法もぐちゃぐちゃだけど許して

 

今日は一日、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んでいた

ずっと、柴崎友香保坂和志と読んできて、急にSF

映画版の『ブレードランナー』だけは観たことあったけど、映画版より全然原作のほうが面白い

最後の方の予断を許さない展開はすごくて、さすがに傑作だな、と

なんだろう、ほんとうにディックはアイデアの宝庫で、後の映画やアニメで再利用されるようなプロットが沢山出てきてニヤニヤしてしまう

なんかSFは純文学系よりすらすら読めたな

面白かったです

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