7月2日

・ひさしぶりにミスドのドーナツを食べた。ダブルチョコとイチゴリング。おいしかった。今日は鹿が見れなかった。ざんねん。

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・『トップをねらえ!』最終話まで見た。名作だなあって感じで今見ても全然おもしろかった。特殊相対性理論が生み出す世界観、いわゆるウラシマ効果を利用している。このアニメが重要なのは、世界に相対性理論が流通するようになっても結局ぼくらはニュートン力学的な世界しか経験できないからだと思う。特殊相対性理論によると同時性、という概念がフィクションによって成立しているのだけど、いずれにせよ日常の経験はわたしとあなたが同じ時間を共有している、という世界観の外に出ない。ぼくらは相対性理論的な感情や経験を、現実を形成している常識からある程度自由なフィクションの領域においてのみ経験できる。

・今日も保坂和志の『小説の誕生』を読んでいた。ひたすらおもしろい。感動してしまった文章があるので引用。

 アキちゃん、という保坂さんの知り合いのはなし。アキちゃんは川原を歩いているときに、まず長い竹の棒を拾って、それでまわりを突っつきながら歩く。次にハンカチを見つけると、「これをおれたちの旗にしよう。」と言って竹の先にハンカチを挟んで先頭を歩き始めた。が、二十メートルも歩かないうちにハンカチが落ちてしまう。アキちゃんは落ちたハンカチを棒でつんつんつついて「ダメだ、はさまんねえや。」といってそのまま行ってしまった。

≪ この、全体としてすべてがいい加減にできている光景が、いかにもアキちゃんらしくて私は事あるごとに思い出す。≫

≪あのときの光景と比べて、小説にはなんと常識にかなった意志が充満していることか!--しかし、この「常識」自体がそもそも、小説として描くのに都合のいい一貫性という意味であって、現実の人間はそんなに「常識」どおりではない。つまり、ここで私がつい書いてしまった「常識」という言葉自体が、現実の側でなくて虚構の側についていることになる。≫

≪アキちゃんはあのとき、存在が芸術だった。あのときのアキちゃんを思い出すと、気持ちがふだんと違う方に向かってパーッと開かれる感じがする。≫

ここを読んだときに、あまり使いたくないけど「わかる!!!」ってなってしまった。このわかるは共感っていうよりも、ぼくと保坂さんのあいだでたまたま一致するところがあった以上のことではないのだけど、たまたまそういうことが起こってしまうということが芸術の根底にあるのだと思う。

・今日聞いていた音楽のひとつ

kiki vivi lily「AM0:52(Sweet William Remix)」

https://youtu.be/L36Ac2F6spY