7月1日

・6月が終わって7月になった。日記をつけてていいなと思うのはひと月ごとにちゃんと時間が区切られるごと。4月くらいから別のところで日記を書いていたのだけど、月末くらいになると今月はだいたいこんな月だったなーって確認できるのがいいと思う。6月は夕方にたくさんきれいな景色が見れた月だった気がする。

・ぼくは夏になるとチョコミントと名のつくものはなんでも買いたくなってしまうのだけど、今日はこれ。

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・チョコミントは商品によってあんまり味のブレがなくて、どのチョコミント食べてもだいたいあ、チョコミントや、ってなる安心感がいいと思う。あと、バカ食いしてもチョコよりも罪悪感ない。チョコミントはチョコのカロリーをミントが冷却するのでカロリーは0。カロリーって熱量やし。

・今日も鹿がいた。

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・『トップをねらえ!』の3.4話を見た。DVDには1枚に二話ずつ収録されていて、1枚目に3.4話の次回予告もまとめて収録されている。これが思いがけない罠で3話を見ていない状況で4話の次回予告を見せられて盛大なネタバレをくらうという事故があった。全6話だから展開がとても早い。それで2枚目にも第5話の次回予告が収録されていたのだけど、今回は逆にまだ作ってないので未定でーす、みたいな次回予告で、こういうのが許されていた時代だったんだな、としみじみと思った。

・今日は午前中に久しぶりに本を読んだ。保坂和志の小説論三部作の二作目『小説の誕生』。つい熱中して読んでしまうから、『小説の自由』はすぐに読み終わってしまった。二作目も面白い。引用。

《芸術家は社会的に価値のある存在である必要はないが、社会の側から芸術家の存在意義を問うてきたら、返答は、社会の流れと別のことをしていることが芸術家の価値なのだ。》

このことと関連して、おとといくらいに現代詩手帖の7月号に載っていた鈴木一平(いぬのせなか座)「無症候性の形象」という文章を本屋で立ち読みした。コロナウイルスから表現における「無症状感染」を捉えなおす試みだったのだと思う。コロナ禍において、以前と一見変わらない表現活動を続けていたとしても、無症状感染という形での感染がありうる。そして、それはコロナ禍における表現活動という一時的な問題ではなく、表現活動においてつねに問題になることだと思う。

実は保坂さんも上の引用の後すぐに《というようなことが、しかし本当に可能なのか?》と留保を置いている。社会の流れとは別のことをする、ことばの見かけほど容易ではない。それは社会の圧力があるから言うのではなく(そういうことを言う人のことは無視していればいいだけの話だから)、まさに無症状感染としかいえない状態で表現行為に干渉してくる…ということをどう考えるか。

・今日フィロのスのメンバーの一人が弾き語りの配信をしてて、そこでやってた曲がよかった。ハロプロっていつまでもハロプロで超時間的ななにかだと思う。

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