6月27日

・最近今まで行ったことないところを歩いてみようと思っていろいろブラブラしているのだけど、毎日こんなんあったんや〜って発見があってたのしい。

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・今日もランニングして、最近は夜の三日月がきれいでパシャパシャ写真撮ってる。今日は見てないけど。昨日はいっぱい写真を撮ってあげてて、実は短歌も作ってみたりしてた。

会うたびにきれいになるね、三十歩毎に写真を撮った三日月

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・鳩がいっぱいいた写真

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岡田利規「『未練の幽霊とその怪物』の上演の幽霊」をYouTubeLIVEで視聴した。演劇についてはまったく知らないどころかちゃんと見るのは初めてだったけどすごくよかった。

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・なんかこんな感じの画面で、机が舞台になっていて、机の上のパネルにそれぞれの演者のzoomの映像が映し出されている。今回は夢幻能の形式の演劇だったらしい。題材はザハ・ハディド敦賀半島の白木海岸の原発もんじゅ」。両方とも比較的最近の出来事で、特に前者の新国立競技場の問題は、オリンピックの祝祭ムードの中で永久に忘れ去られてしまいかねなかった。保坂和志が、芸術のなかである出来事を語り直す、演じ直すことは過去を再び生きさせることだ、というようなことを言っていたのを思い出した。

・それと、演劇の形式がすごく面白かった。実際の舞台と違って、演者たちがそれぞれパネルに閉じ込められる事態が起こっていて、演者同士の関係の断絶を強く意識させられる画面だった。多くのシーンで演者は一人で話すのだけど、たまにふっと画面同士で会話などで繋がる瞬間があって、それがすごくぼくにとってはリアルだった。ぼくの中では個人個人が生きる世界はあれくらいの断絶間で、実際に見える距離よりもずっと大きな距離が個人間に存在しているというのがリアルと感じるんだな、っていうのをこの演劇を見て思った。画面の中でそれぞれのクオリアを生きる生きものたちのあいだでふっと繋がったり途切れたりする関係性、みたいなのをあの方法を使えばすごく上手くできそうだなって見ながら考えた。

・それとフィクションの領域としての机の後ろには現実の現在を意識させるカレンダーが設置してあり、窓の外では現実を生きている人々が歩いているのが見える。時間も経過するからだんだん暗くなっていく。フィクションと現実が混ざり合う空間が画面の中で作り出されていた。

・『トップをねらえ!』の第一話、第二話を見た。ぼくが生まれるより前のアニメ。今見ると恥ずかしくなるようなベタ?な演出が多用されているけどそれも新鮮だった。