6月15日

 大雨が降ったあとは、空気中の埃が洗い流されて、空気がきれいになるらしい。外は曇り。電車の中にいた。向かい側の車窓に、こちら側の車窓に映る景色が重なっている。光の関係か、こちら側の車窓の反射像がいつもより随分はっきりと映っている。山に家や街灯やアンテナが、川に信号や高速道路の風景が同じくらいの映像の強度で重なり合っていく。時々、重ね合わされた映像の主従関係がひっくり返りそうなほどだった。さらに車内の反射像も向こう側の窓には反映され、二重、三重に折り重ねられた映像を見たあと電車を降りると、いつも降りる駅の一駅前だった。自分がどこにいるのかわからなくなっていたのかもしれない。

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6月14日

  ゼミ発表をしているときに、大雨が降り、雷が鳴りはじめて、完全に気持ちがそっちへと移っていった。こんなことをしている場合じゃないし、そもそもなんで自分はこんなことをしているんだろうと思った。自分が読んだり観たりしたものがおもしろければそれでよし、というわけにはいかないのが大学という場所だ。それらを組み合わせたりしつつ、人を説得したり新しいものを生み出したりしないとといけない。終わった後、友だちと麻雀をした。すごく眠い。

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6月13日

 日記を書くときに、もっと色を細かく書き分けられるようになりたいと思って、『日本の色辞典』(吉岡幸雄)を買った。適当に開くと、青系の色のページだった。
≪青という色名は、藍から緑へと大きなうねりをもって人間に見つめられ続けてきた。
青は、人間が自然とともに生きていくなかでもっともなじみやすい色であるがゆえに、そのさまざまな色をあらわして身近におきたいと人々が願うのは至極当然のことであろう。≫

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6月12日

 六月ではじめて雨が降った。雨の日の出来事はなぜか記憶に残りやすい。外に出られなくて家や学校に閉じ込められるというある種緊急事態だったからかもしれない。台風による激しい雨風や雷には決まって興奮した。住んでいた地域で深刻な被害が起こることはまずなかった。昔のことはよくわからないけど、いつも以上に気象に頭を乗っ取られ、どこか浮ついた気分で飼っていた犬を撫でたり、友だちとゲームをしたときの記憶はよりいっそう生々しく残っている。

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6月11日

 夜の日付が変わる少し前、窓を開けてベッドの上で横たわっていると外から大きな歌声が聞こえてきた。同じアパートではない、少し遠くのどこかから聞こえてきた。
 大学を卒業して引っ越すなら、窓の外からいろんなのが入ってくる場所がいいと思った。実家は寝るときに蛙や梟や鈴虫の鳴き声が聞こえた。ベランダから電車が見えるところもいいと思う。車窓からベランダが見えるたび、手摺にもたれかかって電車が通っていくのを眺めている誰かを想像する。

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6月10日

 大学の附属の水田の上をつくりモノの鷹か二匹、気持ちよさそうに飛び回っていた。そのカカシのようなのが威嚇しているからか、鴉が田の近くで何かを見つめるだけで入っていこうとはしなかった。
 夜八時を過ぎても、空は紺色で青が残っていた。最近、夜が過ぎるのがあまりにも早いのと関係があるかもしれない。シャンプーを別のに変えた。泡立ちが良くて気に入っている。知らない人がとても近くにいるような気がして新鮮だ。
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6月9日

 午後四時くらいに昨日の日付の日記を書こうとしたけど、暑かった。と眠かった。しか出てこず、一旦書くのを延期する。日付が変わるまでになんか書ければいい。あと五行。
 本を閉じて、古着屋とかでぷらぷらしてから、また川に来た。今日読んだ本はとても良かった。高度資本主義やテクノロジーによって規定された条件のなかでしか人間は動物と関われない。夕方の風が気持ちよくて、イヌムギはゆさゆさと揺れ、人が橋の上をたくさん流れていった。近づいてきた二匹の鳩にカメラを向けて写真を撮った。自分も相当軽薄な人間だと思った。

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